全国大会多数出場 日本体育協会公認卓球コーチⅢ 日本卓球協会公認審判員 卓球マシン3種類 少人数指導 卓球用品販売 5歳~シニア 指導実績13年 出張指導 P12有

私が卓球指導を始めた理由

私が卓球指導を始めた理由

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 私は埼玉県で生まれ卓球を小学校で少し中学校、高校 クラブチームと続けてきましたが現役を引退してからは近所の一般女性のクラブに指導を頼まれて楽しく指導していました。その後中学のPTAに頼まれ中学生を指導するようになり現在は自分でクラブチームを運営するようになりました。

 私はいつしか子供達の指導を受ける環境について色々な疑問を持つようになりました。なぜ指導者がいる学校は圧倒的に有利で指導者がいない学校はチャンスが無いのだろう?ということです。誰でも同じスタートで始めて同じように上達したいはずなのに実際には大きな壁があるのです。顧問の先生だって好きで知らない競技を指導している訳ではないのですから。

 実は私が中学生の時も同じような状況だったのです。兄の影響で卓球を始めましたがやはり指導者がいる学校には圧倒的に適わなかったのです。顧問の先生は卓球部にあまり来ることが無く先輩が仕切っていて先生からは指導や指示も出してもらえませんでした。

卓球台は6台で部員は男女約40名、男子と女子で3台ずつでした。ですから1年生は打てないのは当たり前で2年生もたまに打てるといった感じでした。上達する子はボーリング場で練習したり家に卓球台があったりと豊かで理解ある家庭ばかりそんな感じでした。

ですから部活動でもっぱら指示を出すのは上級者で球拾いと三角素振りそして腹筋、腕立て 電気イス ランニング 手押し車などが日課でした。球拾いでトンネルをしようものならその場で正座、ひどいときには部活動の始まった直後から最後まで正座をさせられました。それでも卓球がキライにならなくひたすら上達したいと思っていました。

大会に出場すると隣の中学校がとても強くて生徒全員が丸坊主で上が黒で下が灰色のユニフォームで先生がとても怖かった事を鮮明に覚えています。自分の成績は良くても4回戦止まりで「なぜこんなにも差がつくのか?」不思議でなりませんでした。

その悔しさから私は下手でもとある高校で頑張れば一流の学校と勝負できるようになった人がいると兄に聞きその公立高校に進学しました。その指導者は卓球の経験者でなかったのですが研究熱心で私達生徒をビシビシ指導?してくれました。竹の棒で頭を叩かれて竹が割れたこともありました。また練習中に笑っただけで叩かれる事もあり軍隊そのものでした。ただ当時の保護者はそれが当たり前だと感じていたとも思います。時代の移り変わりを感じます。しかし私の場合は自分で覚悟を決めて好き好んで行ったのだから逃げ道はありませんでした。

とにかく練習量は半端ではなく平日朝ランニング3~5キロ、夕方16時から19時半まで日曜日は9時から17時まで部活動がありました。足は夕方には立てないくらい痛いし精神面についてもとても厳しかったです。また勉強も両立ということでクラスで10番に入っていないと退部とか脅されていました。

その異常に厳しい練習の成果が出てきたのは卓球を始めて5年経った高二の後半からです。少しずつ勝てるようになりトーナメント表でも外側のシードをもらえるようなったのです。何もかも自信を持てなく劣等感の固まりだった私がシード選手になったのですから自分が一番驚きました。また中学校の時の近所のヒーロー達に少しずつ勝てるようになってきたのです。というよりも大会で会うと欠点が良く見えて「あれ?こんなにも弱かったの?」と思えるようになってきました。人は自分ではなかなか自分の成長に気がつけませんが相手が弱くなったと感じることが成長の証だと思います。

 当時埼玉県には熊谷商業高校という全国NO1の学校がありました。個人戦でも1位からベスト8まで独占するような高校です。今でこそスカウトで集めていたことはわかりますが当時は無知でよくわかりませんでした。青森山田で有名な吉田先生がそこにはいたのです。
結局私は引退の試合で全国個人三位の選手とまぐれだとも思いますがフルセットまで戦えるようになったのです。

 私は部活動を通して誰でも努力すれば上達するという事を教わりました。先生もそんな事を伝えたかったのかな?とも感じます。いや ただ勝ちたかった?だけかもしれませんが(笑)

 その経験から自信を持てるようになり就職してからも会社では上を目指すようになり販売のコンテストでも全国1を取ったこともあります。卓球の競争から考えれば仕事での一番はとても簡単な事に感じました。

そして今、茨城県つくば市に越してきて20年が経ちこの地域で自分が最も貢献できる事は卓球の指導なんだと感じるようになりました。”自分の得意?で世に貢献でき社会に生かしてもらえる。”これほど贅沢な仕事は無いのかもしれません。

 今でも自分が血尿まで出して頑張った試合そしてその前の緊張感を鮮明に思い出すことが出来ます。あの頃の練習や厳しい礼儀作法の訓練を超える苦しみは今でも超えたことはことはありません。合宿などではトイレの便器を素手でピカピカに洗わされたこともあります(神です笑)大体昔の部活動は水も飲めないのが普通だったし体がガタガタでも休めないのだから命がけだったとも言える訳です。若い頃の努力は人生にとても影響を受けるのだと思います。

 現在多くの大人や子供達を指導させていただいています。とてもありがたいと思うと同時に同じ時間を指導させていただいたなら他の指導者より早く上達させる努力をしなくてはいけないと日々考えながら奮闘しています。最終的には自分が思う”世界で最高の卓球クラブ”を作っていきたいと考えています。

最後に

「誰にでも上達する権利があります。その上達したい生徒が環境によって左右されることの無い様に」という気持ちで地域に貢献できたらうれしく考えています。

コメント

  • 頑張って下さい。

    はじめまして。私は子供の頃部活動が嫌で嫌で、卓球が嫌いでした。
    顧問には殴られてばかりで、どんなに試合で勝っても何の満足感も得られないまま過ごしてしまいました。今思い出しても嫌な記憶しか思い出せません。
    子供は指導者によって生き方すら変えられてしまうものです。
    山下先生のように情熱と愛を持って熱心に指導して貰えたら、きっと卓球に限らずスポーツがどんどん好きになることでしょう。「勝つ」ための努力から強い精神力を育み、こうした強く逞しい人材が大人になってこれからの社会を担って行くのです。このような活動は社会にとって大変有難いものです。ブログ 感動しました。これからも元気いっぱい頑張って下さい。


  • Re: 頑張って下さい。

    たいちさんコメントありがとうございます。昔は生徒の為というより先生の名誉?の為にやっているような部活は数多くあったように思います。映画「ぴんぽん」でもそれがテーマのひとつにもなっていました。私達指導者が一番気をつけなくてはならないのはその競技を生徒さんがキライにならないようにすることだとも思います。生徒が引退し大人になってから一緒に飲みに行けるような付き合い方が私の夢でもあります。


  • 頑張れ

    頑張れば、何かが起きる。
    これは、卓球指導の先生に聞いた話です。
    私は、ピアノを頑張るので卓球頑張ってくださいね🏓


  • Re: 頑張れ

    行動を起こすと何かが起こる。「全ては想いから」ですね。



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